山内 香雪 やまのうち こうせつ
   

欲見溪山尊業屋
爲聽風月大開門
渓山を 見んと欲す 尊(たっとい)(なりわい)の屋
為に風月を聴いて 大いに門を開く
126p×27p

寛政11年(1799)生〜安政7年2月3日(新暦1860年2月24日)歿
 名は晋、あざなは希逸、号は香雪、また一枝堂、通称熊之助、奥州会津の人、幼時より書を好みもっぱら書法を勉強した。22歳で江戸に出、亀田鵬齋、大窪詩佛らにつき、のち市河米庵の門に入った。25歳で京攝に遊び、ついに長崎まで至り、清人江芸閣について書法を問い、大いに悟道するところがあった。江戸に帰ったのち、塾を開き、諸生に書を教授した。名声はいよいよ揚り、中村梧竹をはじめ、門生はすこぶる多かった。安政7年2月3日病で没し、三田の薬王寺に葬られた。
 著書に、晋唐以下諸名家の梅を詠じた詩を数千首を集めた『梅花集』十五巻、『名家手簡』十二巻等がある。
 「香雪山晉」の下に、白文の「山晉氏」、朱文の「山希逸」の落款印が押されている。

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